頼れるか、新興宗教

ネフローゼと診断を受け、入退院を繰り返しその後数年が経過した時期のことですが、父の友人を介して新興宗教への誘いを受けた。
宗教への興味はまったくなかったのですが、病気の改善に希望がもてる内容の誘い文句に、家族との相談の結果、試してみる気になり入信することになった。
信者の方には、重い病気を患い、最後のよりどころの場所として入信する人が沢山いたように思われた。
いろいろと行事ごとが行われ、信者の体験談を聞く機会もあったのですが、驚くほどの奇跡的な事実を聞くことができた。
不思議な奇跡を毎回信者のお話を通して聞くことができるのです。
だが、どうも私自身の信条とか、思いと気が合わないでいた。
そんなある日、参拝に行くときですが、気が進まなく悶々とした思いをもって向かっていたら、移動中の自動車の後部から「ゴー」とけたたましい音がした。
車の窓が少し開いていると、風を切る音が鳴るときがありますが、そんなちっぽけな音ではなく、例えば、新幹線がトンネルを超高速で走るときに故意に窓を開けたら、おそらく大きな音が車内中に鳴り響くと思われるが、そんな音のようでした。
そんな大きな音であるにも関わらず、走行中に何度となく後部を気にしながら音の発生元を確認をするが、まったく検討がつかない。
私自身の参拝に行きたくないという思いが、大きな音の実態として発生したと思っている。
そんな体験や信者との人間関係に疲れ、とにかくすべてが胡散臭くなり結果的に退会してしまいました。
奇跡とは、スプーン曲げなど実害がなくただの興味と興奮で終わればよいが、実はそれでは済まさられない事実があることを知ることができた。
病気で苦しんでる方の症状の瞬時による改善は、奇跡的な事実としてある意味善にみえるが、それが目くらまし的に表向きをつくろうだけで、それ以上の善意がないとしたら・・
この世に、例えば神と呼ばれる存在があり、その存在は人間では及びもつかない奇跡を、いとも簡単にみせることができる。
ただ、その神と呼ばれる存在にも善と悪がいること。
その悪の存在は、人間にいとも簡単に奇跡を見せつけることができるのです。
良かれとやっていることが最悪、危害を加えてしまうことがあることを肝に銘じられた入信の経験でした。